アンダーグラウンド・ハイドアウト

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「市場経済に潜り込む生業世界」を読んで

 松井健、名和克郎、野林厚志 編の『生業と生産の社会的布置 ――グローバリゼーションの民族誌のために』岩田書院(2012)第Ⅳ部「グローバリゼーションを超える構想力」所収の松田素二 著「第12章 市場経済に潜り込む生業世界――西ケニア山村の21世紀」を読む機会があり、まとめたので、ブログに公開して共有しようと思う。

 もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。

 

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1.はじめに

〇近代アフリカ社会の変容

:西洋の植民地支配による資本主義的市場経済の侵入と伝統的で自給的な経済の相克と接合

;「生業」的経済が「生産」的経済に取って代わられる過程

 (実際には両者が複雑に相互に絡み合い接合する形でシステムが重層化)

 

〇東アフリカ・ケニアにおける「生業」と「生産」の接合過程

①「生業」と「生産」を分離したのち、「生産」の指導権による両者の統合

:市場的社会を「生産」の論理で成立させ、それ以外の地域を「原住民居留地」として規定

 :自給的「生業」世界の再生産

 ;市場的社会の需要に応じて居留地から「賃金労働者」として雇用し、終われば送り返す

 →失業者が都市にあふれるのを防ぎ、コストを払わずに「労働力」を維持することが可能

②資本主義的市場経済の強化と膨張による「生産」的世界のさらなる浸透

:「残存」していた自給的「生業」世界はその中だけで十全な生活をするのが困難に

 :都市居住を制限する法的・社会的規制が撤廃され、膨大な人々が「生産」へ流入

 ;農村は都市に全面的に依存する「不完全で従属的な世界」に

 

〇アフリカの21世紀

・90年代:「絶望の大陸」諸国で経済破綻→国外から「構造調整」政策を強要される

     →合理化・民主化がもたらされ混乱と停滞、内戦や反乱が起きた

・21世紀:希少資源や食糧生産の潜在的適地としてアフリカの価値が上昇

     →年6%から10%の経済成長を生むが、伴って経済格差も発生

     →国民の半分以上が貧困ライン周辺の生活を余儀なくされている

 

*西ケニアの山村社会とそこで暮らす人々がどのようにして「生産」経済的世界から自分たちの居場所である生活世界を確保し、「生業」的要素を再構造しながらよりよい生活を再構築していくかを考察していく



2.K村における生産と生業の社会史

;K村:ケニア西部、ウガンダとの国境周辺の500人ほどの山村

    伝統的にモロコシなどの栽培を生業とする農耕地域

・19世紀末 イギリスによって植民地化

 1920年代 入植者による大規模プランテーション

     →アフリカ人は自給生活をしていたため賃労働に関心を持たず

     →人頭税・小屋税制度を導入し賃金労働を強要

・20世紀初頭にケニア西部にミッション派キリスト教が布教され、その環境で育った第一

 世代からは「優良な商品」として人気になった

⇒突出して出稼ぎ労働者を輩出する地域に

 ;男性は村に妻子を残し単身で長期の賃労働生活を送り、休日に里帰りをする

  50代に引退すると村に戻り長老として伝統的生業生活のなかで暮らす

  ;近代的経済システムと伝統的生活システムの併存と(前者の主導による)接合

・80-90年代 世界銀行IMFによる「構造調整」政策により出稼ぎ形態は軟弱に

      ;出稼ぎ先で妻子と暮らす家庭

:この時代には村社会は都市に全面的に従属と依存するようになっていた

 ;都市からの仕送りが食料の購入に使われ、生存のために金が必要な社会が浸透

 

〇概括的な時期区分

第一期(Ⅰ):生業的世界が支配的な時期

人頭税と賃労働制度が導入される20世紀初頭まで

第二期(Ⅱ):生業と生産的世界の接合;市場経済の侵入

;20世紀初頭から出稼ぎ構造の崩壊する1970年代半ばまで

第三期(Ⅲ):自給的生業世界の崩壊、生産的世界による支配

;1970年代半ばから「構造調整」の2000年ごろまで

第四期(Ⅳ):生業的世界(非/脱/超市場的)のリゾーム的再生

;都市のネオリベラル化に伴い農村へ帰郷した人々による

 新たな生存戦略が図られる今日の時期



3.絶望的生活困難の時代

ケニアの経済状況

Ⅰ・Ⅱ:独立以降、親米新英路線により援助を受け経済成長、観光産業など盛んに

Ⅲ  :植民地型モノカルチャー構造の残存により経済は失速

    2代目大統領の独裁により国際援助も減少→「構造調整」の契機に

   →合理化や自由化が推進され膨大な下層階層は失業、物不足、物価高騰に悩まされる

   ;自給世界の消失(家計の支出の大半が食費)、その現金は都市からの仕送りに依存

Ⅳ  :生存困難の質が絶望的なほど悪化

   ;支出のほぼすべてが最低限の食費に充てられる

   ;農地は均分相続のため微細で、トウモロコシを自給できるのは2か月/年足らず



4.21世紀のナイロビ出稼ぎ生活

・ⅢとⅣの違い

 Ⅲ:村の生存が都市の賃労働に依存

   都市へ出稼ぎに出ていた成人男性による家族への送金で村社会は存続)

  ;村の伝統的扶助や非市場的世界は都市の貨幣と市場原理に駆逐され、

   都市に一方的に依存しながら生きている従属的存在に変貌

 Ⅳ:都市に依存せず独自に生活世界を維持する方法を創出することが必要になった

   人口増加と都市への人口流入によって都市でも安定した収入は得られなくなった

  →どのようにして生き延びる策を見出したのか?

 

〇村出身出稼ぎ民の暮らしと変容

20-80年代:ナイロビは「単身男性出稼ぎ青年の町」;出稼ぎ流入民を受け入れる居住区が

      存在し、大人数が一か所に固まってコロニーを形成した

80-90年代:コロニー形態ではなく分散して住むようになった

2010年- :ナイロビに居住する村人の数が減少(帰郷する上の世代を見た若者)

      さらなる居住地の分散傾向と妻子同居の定着(かつては単身男性同居が主流)

 ・妻子同居の原因

  ・夫婦の出会いの場がそもそもナイロビである場合の増加

  ・妻もナイロビでパート労働をすることで賃金を得る

  ・近年の家族計画政策(子を多く作らない)により一部屋の長屋でも妻子同居が可能に

⇒村に戻らない村人が増加(村との紐帯が弱くなる)、出稼ぎ文化自体が変質



5.村の生業的日銭稼ぎ

現在の村の様子

・かつて村で出会わなかった青壮年の男が多数存在(都市からUターンしてきた)

 

〇村での現金獲得の方法を自ら見つけ出すか創造する

 ;すでに村で完全な自給生活を送ることは不可能で、国の経済の内部に属している

・住宅と小中学校の増改築に伴う賃労働;中産階層の邸宅や国庫金による学校の建設

・他人の畑の耕作;男性の不足する世帯や病気などで農耕の遅れている世帯からの要請

・日干しレンガ製作;建築に必要な材料

・炭・薪売り;過伐採によって入手困難になってしまった薪

・中学生のランチ売り;政府の学費保障制度によって進学率上昇

・川砂の売却;公共事業で必要

・トウモロコシ以外の耕作;中産階層による豊かな食生活

・ラジオ・時計の修理→携帯電話の充電と修理サービス

 

〇都市の市場経済と村の日銭稼ぎの違い

・ドライな金銭関係である貨幣と市場原理に曖昧で文化的な人格化・人間化の特徴

 :期待や打算、要求や交渉などの日常的実践が付随する

 (例)賃金や対価の支払いの遅れや無化の存在

 ←すべての日銭稼ぎは村落共同体内で行われる「閉じた」もので、

  共同体内の親族関係、社会関係、文化的負債(儀礼への参加など)と無関係ではない

⇒「市場的行為の生業化」

 :金、モノ、サービスの交換という市場経済的行為のなかに社会・文化的様相を帯びた

  生業的実践が潜入している



6.生業世界化の生活技法

・ツケの存在 ;利子はあることも無いこともあるし、未払いもうやむやになることがある

・講の存在  ;村人が組織・加入する組合で、現金を工面することができる

・個人的な借金;利子があることも無いこともある

・携帯電話を通じた借金;口座を持たない村人の大金受け渡しに便利で、返済の必要がない



7.おわりに

・20世紀前半に賃金労働と市場経済の出現と浸透によって駆逐された共同体内の協働や束縛という文化的な非市場的生業世界は、日銭活動という文化的相互依存関係に基づいた経済活動という人間化された形で再生されつつある

・文化的関係という生業世界の要素は市場原理主義に対抗する微細なセーフティ・ネットであり、市場経済の一部を人間化することでかつての生業世界の人間関係を擬似的に再創造し、都市に依存せずに村の生存を保障している

・母体となる村自体の移動(変更)という村の生存戦略も有している

 :土地に執着する文化ではないため、自給生活の場を確保するべく村ごと移すことが可能



以下、おもしろいと思った点。

本来変える必要のなかったであろう生業世界を他国や経済システムによる介入によって駆逐しかけても、最終的にはその経済システム自身の発展によって再び農村における生業世界の再構築に影響を与えているというのが面白いと思った。

わからなかった点。

自給生活のみで暮らしていた時代にも、金銭でなくても他人とのツケや貸し借りなどは存在していたのではないだろうか。そのような文化的背景が無いと講の運営やツケという方法の知識は生まれえないのではないだろうか。(もしくは貨幣文化そのものについて?)

現代日本では都心部では自給生活の経験がない人が多く、また文化的な生業世界から離れていると言えるのではないだろうか。もしそうなら、日本における生業世界は現在の農村部で再生産されない限りなくなってしまうのだろうか。