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『朽木谷の自然と社会の変容』第4章「鯖街道と朽木の地形」を読んで

 水野一晴、藤岡悠一郎 編の『朽木谷の自然と社会の変容』海青社(2019)第Ⅱ部「山村の暮らしと自然環境」所収の、手代木功基 著 第4章「鯖街道と朽木の地形」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。

 もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。

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 第4章を読んで。

 

〇「鯖街道」:若狭街道(京都と若狭を繋ぐ街道)の別名

 ・複数ある若狭街道のうち最も一般的なものが

  出町柳(京都)から北へ朽木に至り朽木を出ると北西の小浜市へ向かうルート

  ←朽木は中継地点にある

  ⇒朽木は 外部からの人の往来が多く、ヒトやモノ・情報などの往来が盛ん

 ・朽木を通る若狭街道がよく使われた理由:交通上の条件

  ;標高差が少なく、積雪も少ないし、直線的(2つの断層に沿っているから)

  (プレート運動やチャートの分布の影響で「利便性の高い道」は移り変わった)

 

〇なぜ「鯖」なのか

 ・鯖の特徴:大衆魚だが、鮮度の低下が早い

      例;新鮮なうちに塩を振って腐敗を防ぐ「一汐サバ」

  ⇒若狭湾‐京都の距離が70㎞で、鯖の旨味の熟成にちょうど良い距離

 

〇「鯖街道」の与えた影響

 ・名残;出町柳にある鯖寿司屋「花折」、小浜にあるサバを扱う食料品店「朽木屋」

 ・地域の食文化にも影響を与え、根付いている

  例:お土産として鯖寿司、ごちそうとしてなれ寿司、保存食としてへしこ

 ・まちづくりへの活用;「鯖・美・庵祭り」

           ;「鯖街道」の呼称も近年メディアや雑誌によって広められた

 

〇現在

 ・国道の整備で街道は荒廃している場合が多い

 ・鯖を山を越して運ぶことが今ではほとんどない

 ・しかし、地域の特産品として今でも鯖は朽木にとって重要なもの

 

 以下、面白いと思った点。自分の地元に、弘法大師空海)が逗留・開山した寺院に由来して、「弘法通り」と呼ばれる一帯があり、「鯖街道」の由来も読み始めた当初は同様に「鯖がよく運ばれていたことが由来だろう」程度に考えていた。しかし、日本・世界各地でとれる鯖の、腐敗するスピード・旨味の熟成にかかる時間と、栄えていた京都と若狭湾の距離に加えて、プレート運動やチャートの分布、2つの断層による直線的な地形という偶然が重なって、朽木を通る若狭街道が「鯖街道」になりえたという結果には、一つの物語を読んだかのような感動を覚えた。一つの分野における視座だけでは見通せない大きなからくりが潜んでいて、他面的かつ総合的に考察することの重要性を感じた。

 参考・勉強になった点について。1・2章で朽木の自然環境について、そして高齢化による自然との共生が難しくなってきている現状を読んで、「過疎化の進む自然豊かな田舎」という(勝手な)印象を抱いていた。しかし、歴史的には通商の重要な通過点であったことから「閉じた社会」ではなかったことがわかった。現在の様子だけでは嗅ぎ取れない繁栄について、「鯖街道」という呼称から見つけ出すことができるのが、社会地理学の面白さなのかもしれないと感じた。また反対に、地名に名残は残っているが、その文化は無くなってしまったような地域もあるかもしれない。それらの地域はどのようにして文化が廃れてしまったのかを調べるのも有意義なものなのではないかと考えた。

 疑問点・不明点としては、店名に「朽木」や「花折」が用いられるのは名残かもしれないが、「朽木=鯖」のイメージが定着してからなら、むしろブランディングとして(新規に開店した店でも・由緒があるわけでもないのに)用いられる可能性もあるのではないかと考えた。テキストに載っている店はもちろん「かつての名残」かもしれないが、「鯖街道」から少し離れたところに「朽木」の名を冠した鯖料理の店ができたとき、どのように捉えるべきだろうか。