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『社会学 新版』第2章「相互行為と自己」を読んで

 長谷川公一、浜日出夫、藤村正之、町村敬志 著の『社会学 新版』有斐閣(2019)の第1部「行為と共同性」所収の第2章「相互行為と自己」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。

 もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。

 また、この本は現代社会における様々な問題について、歴史上の偉大な思想家たちが議論して築いてきた考えるための理論がとても整理されている。この本を一通り読むのと読まないのとで、あらゆる問題に対して考える時の視座の確固さは雲泥の差を生むと感じた。ぜひ一読を強くお勧めするし、自分の考え方に揺らぎが生じた時に拠り所にするために傍らに置いておくのが良いと思う。

 

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 第2章 相互行為と自己(pp.48-73)

 

 

第1節 自己・相互行為・社会

ジンメルの「相互行為」観とそこから見える近代社会の性質

 

ジンメル……相互行為を初めて主題化

・相互行為という流動的な性質をもつ「糸」によって織られる織物が「社会」であり、

 「社会」も「糸」と同様にたえず形や大きさ、色、模様を変える

 :社会化:社会は実体ではなく絶えず形成されるという過程としての性質を強調した表現

・個人も実体はなく相互行為という「糸」が交差する「結び目」であり、

 相互行為に合わせて結ばれてはほどけ、ほどけては結ばれ、と絶え間なく変化し続ける

 :個人化:個人もまたたえず「個人になる」、という過程としての性質を強調した表現 ;相互行為は社会化と個人化の2つの過程が同時進行する場

 

〇近代社会では「分化」が進み、個人は多くの集団に同時に所属するようになった

 :個人は一つの集団に全面的に包摂されることがなくなった

→一人の個人のなかで多くの「糸」が交差することになる

→社会化と個人化の間に対立が生じる

 ;集団の一員として与えられた役割を全うし、一つの全体に献身するよう求められるが

  個人という統一体としての完成を欲して要求に抵抗するようになる

 ■「メンバーに向かって部分的機能という一面性を要求する全体と、自ら一個の全体たらんと欲する部分との間の抗争は、原理的に解決し難いものである」p50

;例としてp51に
仕事も大切だけど家族や友人との時間もたいせつにしたいという葛藤が例示されている

→近代の分化した社会では、相互行為は社会化と個人化という2つの過程が衝突しながら同時に進行する緊張に満ちた場となる

 

〇分化した近代社会では、「秘密」と「(秘密に対する)配慮」が社会化と個人化の間の緊張を緩和している

 ・秘密:個人はどの相互行為にも自己の一部分だけで関わるため、それ以外の部分はその相互行為の外側に置かれる

 ・配慮:相手の秘密に踏み込まないことで、個人が個人であることと組織の一員であることを両立させることができる

 

〇相互行為が可能となる前提条件

 ・知識:お互いに相手についてのなんらかの知識をもっていること

 ・無知:お互いに相手について知らない部分があること

→・信頼:ある部分は知っているけど完全には知らない相手と相互行為を始めるには、相手を信じるしかない/信じなければ相互行為は滞り、社会は立ち行かない

 ;p53に例として、スーパーで売っている食品を安全だと信じて食べていること、誰が何でどのように調理したのかわからない料理をレストランで食べることが挙げられている

 

 

第2節 アイとミー

*「自己」と相互行為の関係と「アイ」と「ミー」概念、そこから見える社会

 

〇ミード……「自己」について研究

・「自己」(「自我」self):自己が自己に対してもつ再帰的関係のことだが、自己の内部で自己完結しているのではなく他者との相互行為のなかで生じる社会的な現象

;「社会的潮流のなかの渦」:発生でも作動でも他者とのコミュニケーションを前提とする

  :すくい上げても消えてしまう様に社会的過程から切り離して存在しえない

・「自己」という現象の特徴:自己意識(自己が自己自身にとっての対象であること)

;どのように自己意識が生み出されるのかを説明するために、人間の相互行為の特徴を説明しなければいけない

→人間の相互行為の特徴

 :相互行為に参加している人間が自分の言っていることを自分でわかっている点

 →相互行為のなかで、自分の言ったことによって相手のなかに呼び起こすであろう反応と

  同じ反応を自分のうちに呼び起こすことができる(役割取得、他人の役割のとりいれ)

→他者の反応を自分のうちに取り入れ、自分の刺激に対して自分で反応することができるこ とが、(自分を自分の対象とする)自己意識を生み出す

 ;相手の反応を自分のうちに呼び起こすことができることによって、人間は自分の行動をコントロールすることができる

 

・自己意識は、子どもが他者とのコミュニケーションのなかで他人の役割を取り入れること

 によってしだいに形成されていくミードは述べている。その過程に登場するのが

 ・重要な他者:子どもは自分の行動に対する、母親や父親、先生などの反応を取り入れる

 →一般化された他者:重要な他者からの反応が一般化され、規則として内面化される

 

〇アイ(I)とミー(me)

・me(ミー):自己のうちの他者、内面化された共同体の態度

自己のうちに取り入れられた「一般化された他者」の態度が自己のうちで組織化されたもの

・I(アイ):meが自己に対して要求する自己の反応

「かれ自身の経験のなかにあらわれる共同体の態度にたいするその個人の反応」

;自己とは「自己のうちで進行するミーとアイの間の内的な相互作用」

 

・アイとミーは自己を構成する2つの部分ではなく、時間的な過程として捉えられる

:ミーは過去の経験が沈殿して形成される経験の蓄積で、アイはこの経験の蓄積に基づいて生起する現在の反応であり、この反応も沈殿してミーの一部になっていく

;現在におけるアイの反応は過去のミーの要求とそれに対する過去のアイの反応に基づいて行われるが、その現在のアイの反応を目にすることはできない(時間が経ってミーの一部として沈殿したとき初めてその時点のアイによって捉えられる)

→アイは自分がしていることを本当は知らない

 ←アイは「自己のうちに取り入れられた他者の態度に対して自分がどのように反応しようとしているか」は知っているが、自分が実際にしていることとの間には必ずズレが生じるため、自分が実際に何をしたのかはあとになってはじめてわかる

p57で筆者は ■「私たちはしばしば言ってしまったあとで、相手の反応を見て、はじめて自分が何を言ったのか知るのである」と説明している

しかしこれは悪い意味を持つわけではない。社会と制度にまつわる自己の意味についてミードは洞察している。まずミードは制度について

・制度:ある特定の情況にたいする共同社会の全成員の側の共通した反応

 ←ミー:この共通の反応を自己のうちに取り入れたもの

     自己だけでなく制度に代わってアイに要求するため「因習的」だと言える

 →アイ:自覚的に制度の要求も計算に入れて自分の反応を決めるが、制度の要求に応えるかもしれないし拒むかもしれない、さらに応えても意図せぬ反応を起こしてしまうこともある

→アイは制度の要求に対する自分の反応を通して、逆に制度に影響を与え、変化させる

(→制度が更新されると新たなミーとして取り入れられ自己も更新されていく…)

;「創発的自己」:社会を前提としてはじめて存在しうるにもかかわらず、

         社会に対する反応を通して社会を変えていく自己の在り方

 

 

第3節 行為と演技

パーソンズのダブル・コンティンジェンシーとゴフマンのドラマトゥルギー理論

 

パーソンズ……ダブル・コンティンジェンシー(二重の条件依存性)

・ダブル・コンティンジェンシー:相互行為において、自己と他者はどりらも自分の欲求充足をめざして行為を選択するが、このとき自己の選択は他者の選択に依存しており、同時に他者の選択もまた自己の選択に依存している状態 (ex. p59「囚人のジレンマ

・自己と他者の欲求充足が他者の出方に依存するダブル・コンジェンシーでは、どちらも合理的に判断を行うとどちらにとっても望まない選択をしてしまうことになることがある

(;この行為者「合理的な愚か者」(A・セン)、社会的な規模だと「社会的ジレンマ」)

 

・双方の欲求充足をもたらす安定した相互行為に必要なものは「期待」

:自己も他者も相手の出方についての期待をもち、

 相手がこちらに対してもっている期待についての期待ももっている(道ですれ違う時など

;相手の期待についての期待が自分の行動の選択に影響を与える

→相互の期待が合致して選択された行動が上手くいったとき、役割期待の相補性が成立する

制度化:共有された価値基準に基づいて行動の期待がなされること

;自己と他者の間で同じ価値基準が共有されたとき、役割期待の相補性はより確実なものに

 なり、相互行為はより安定したものになる

 ・同調:相手の役割期待に沿うような選択をすること

 ・逸脱:相手の役割期待に背くような選択をすること

・価値基準がパーソナリティの一部として内面化されれば、さらに相互行為は安定する

制度的統合:価値基準が制度化されていると同時にパーソナリティに内面化されている状態

 

・逸脱への傾向に対処する予防的なメカニズム:「社会化〔学習〕」

 学習を通して役割期待の体系を身につけていく過程のこと

・事後的に処理するメカニズム:「社会統制」

 逸脱行動によって攪乱された相互行為の安定を回復させるメカニズム

 

〇ゴフマン……ドラマトゥルギー

ドラマトゥルギーのアプローチ:私たちは相互行為において役割を遂行すると同時に「役割を遂行している」ことを表現(演技)している

;相互行為の参加者は、役割を遂行するという「パフォーマンス」を行う「パフォーマーとその演技をみる「オーディエンス」に交互に入れ替わる

印象操作パフォーマーが、自分のパフォーマンスをコントロールすることでオーディエンスに与える印象を操作すること;都合の悪い情報は隠し、良い情報は積極的に与える

 

・「パフォーマンス」はパフォーマーとオーディエンスの共同作業

;・「防衛的措置」パフォーマーは自己呈示に破綻が無いように細心の注意を払う

 ・「察しのよい無関心」破綻をオーディエンスは気が付かないふりをする

→相互行為においてパフォーマーとオーディエンスは互いに呈示したアイデンティティ互いに保護しながら共同で維持している(儀礼的相互行為)

役割距離:呈示され演じられている自分と演じている自分の関係

 ;個人とその個人が演じている役割の間に距離があり、またこの距離も呈示している

;期待される役割を演じるのと同時に抵抗することがある

 →演じられる自分と演じている自分を同時に呈示し「自己の同時的な多次元性」を呈示

 

 

第4節 自己の現在

*他の社会学者の「自己物語」という自己の捉え方について

 

〇ここまでの「自己」について

「相互行為と独立に、相互行為に先だって存在しているものではなく、相互行為のなかで、相互行為をとおして形成され、維持され、変化してくもの」だと共通して捉えられていた

 

浅野智彦……自己物語

自己物語:自己は、自分自身について語る物語をとおして生み出される、という考え方

:・物語る自己と物語られる自己という二重の視点を含んでいる

 ・いま物語を語っている自己を「結末」として最終的にそこに到達するように、過去に経験した物事を、現在の自分の視点から見て意味のあるものだけが選択されて時間軸に沿って配列される

 ・他者に向けて語られる/他者によって承認されない物語をひとりで維持するのは難しい

  →自己物語もまた相互行為の中で他者に呈示され、他者と共同で維持される

(証拠としてSNSでの自己表現が「こんにちあふれている自己物語」として挙げられているが、本当にそうだろうか?) 

 

〇ギデンズ……自己物語とハイ・モダニティの課題

・伝統的社会では「自分が何者なのか」は自明だった (出自、家系、性別、身分など)

・「ハイ・モダニティ」では「自分が何者か」をたえず問われ、その度に自分の生活史を振り返りそれを再構成している ←生活史に一貫性を与えるのが自己物語

;個人化:「自分は何者か」の答えを自己の内部に求めなければならない過程

 

〇ベック……現代社会における集団からの解放

・近代社会へ移行する過程…個人化〔集団からの解放〕

 :個人が階級・職場・家族などの集団から切り離され解放されいていく過程

 ;伝統的共同体から解放された個人は新たな集団(企業・コミュニティなど)に再編成

  それぞれの集団に準拠した自己の物語を物語ることができた

・第二のモダニティ(現代社会)

 :個人が近代的な集団からも解放=追放されつつある(雇用形態の流動化)

 ;今までの集団に準拠しない新たな「物語」が登場している

 

 

 以下、思ったこと。

たくさんの「自己」をもつようになると心労が増えるのか?;分化がすすんだ近代社会では社会化と個人化が同時に進行し衝突するため緊張の場になる、と書いてあるが、そうとは限らないのではないか?

・表現と行為のジレンマ;「本当の自分」とは何なのか?;「なりたい自己」のイメージと「実際の自己」に差があっても、その姿こそ「自己」なのではないか?