アンダーグラウンド・ハイドアウト

やりたいことをのびのびこそこそと

散在する死について

 

 ここ最近ずっと転職活動をしているのだが、自分が新卒だったころも就職活動と言うのはこんなにもヘビーでタフでストレスフルなものだったかな、と痛感している。

 新卒時の就職活動と違って、中途採用の就職活動は、人事が手厳しい。新卒時の就職活動のノリで受け答えをしていると、曖昧なところは厳しく突っ込まれる。また就労条件や環境、報酬などの認識の相違がないか擦り合わせが丹念に行れる。これは無駄な時間をお互いに消費しないようにするためではあるので、変に何度も面接を経験させられる新卒時の就職活動とは異なって効率的ではある。しかし見限られる経験が続けざまに起きるので、精神的には厳しいものとなる。

 新卒時の就職活動についてツイッターで誰かが「好きでもない相手に告白をしまくるような感覚」と評していた。これにはとても共感するが、中途採用の就職活動は時間もないので「好きでもない相手」などには告白しても徒労なのだ。誰に告白したいのか明確にしていないと、告白中にフられてしまう。そのときのメンタルのエグられ方と冷や汗の量は尋常ではない。

 

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 「就活っていうのは、試験とは違って何が基準で合格と不合格が分けられるのかわからないから、不合格にされたら自分の存在じたいを否定されるような感覚になる」と父親に言われたことがある。この言葉が心のどこかに居座っているからなのか真理を突いているからなのかわからないが、転職活動を想定に反して2ヶ月も続けている自分の現在の精神状況に符合している。
 まあつまり、単純に、なんとなく、「死にたいなあ」と思う頻度が高くなった。手応えのまったくなかった面接の後なんかは特に。

 もともと落ち込むときはとことん落ち込むタイプではあるし、ダウナーな気分を(いまで言う)”鬱ロック”を聞くことで地の底まで気持ちを突き落とすタイプではある。劣等感も非常に強く(劣等感に関して考えていることはいつかブログに残すつもり)、自分なんて不要な存在だなと感じる瞬間は人生で何度もあった。父親に似て短気で神経質だがそれを人前で隠す努力は惜しまず、細かい所にこだわる完璧主義なくせにおせっかいで行動に移すまでが遅いLate Bloomerなところは、自分でも生きづらいだろうなと評価できる。

 ダウナーな気分になりたいときに聴くアーティストと言えばもっぱらsyrup16gだ。syrup16gの曲は布団にくるまってうずくまっている自分を暗闇に連れてってくれるし、うろうろ歩いているときは隣で並んであてもなくついてきてくれるし、高い所に立ったら突き落としてくれるし、ひとりでどこかに行ってしまうこともある、そういった音楽だと思う。自分の血液にはシロップが16g以上は流れている。勝手に代弁させられる五十嵐も気の毒だろうに。

天才だった頃の俺にまた連れてって
いつの間に
どこで曲がったら良かった?どこで間違えた?
教えてよ

 

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 音楽と言えば、先日発売されたPhum Viphuritの2ndアルバム『Greng Jai Piece』の4トラック「Tail End」の最初の一節も美しく共感できる。

I don't want to die feeling like
I wasted my life away
But I wake up feeling wasted everyday.
That's what John said, I kept him company.
He's drowning in mysery, he drags on a cigarette
but all he tastes is regret.
(訳)
人生を無駄にしたように感じて死にたくはない
でも目が覚めたら毎日がむなしい
それはジョンが言ったこと 僕は彼と一緒にいた
彼は惨めさに溺れ
タバコを一服吸う
でも彼が味わうのは後悔だけ

 

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 新しく新宿の歌舞伎町タワーの地下にできたZepp Shinjukuで行われたCHAIのフェスにPhum Viphuritが出演するということで先日観に行った。自分が好きになって初めての生プム。思っていた以上に背が高かった。謙虚そうに何度も高い背をぺこぺこ下げてお辞儀していたが、ライブ自体はとても盛り上がっていた。結構おとなしめの曲も多いしフェス自体アウェイの雰囲気だったのに、フロアはかなり盛り上がっていた。
 プムの前はThe 1975の来日公演も観に行けたし、5月はsyrup16gのHELL-SEE発売20周年記念ツアーに参加予定だ。なんならMIKAのチケットも余っていたら観に行きたい。Ginger RootとHarry Stylesを逃したのは痛かったが、その前にはCigarettes After Sexを観に行けたのは良かった。最近だとAWA展(ウェス・アンダーソンすぎる風景展)も観に行けた。
 さまざまな文化的イベントに参加しやすいのは、都会ないし都内に住んでいる特権だと感じてきていたが、いかんせん自分の本当にやらなくてはいけないこと――働いてお金を稼ぐことと、その環境に身を置くために就職活動をすること――を終わらせない限りは、心の中にさざなみが立っている気分になる。たぶん以前もこのブログに似たようなことを書いたが、しなくてはいけないことが慢性的にある状態で他のことをすることが苦手だ。睡眠すらできなくなってしまう。

 だからと言って、就職活動には前向きにポジティブには取り組むことなんてできないのだ……。

何もしないない人生なんて、ただ生きてるだけの命なんて、緩やかな死と同じだ。

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 しなくてはいけないこともできず、何もなしえずに日々を過ごしてしまう。これが自身への失望を生み出し、連鎖する。未来に対して、ただぼんやりとした不安を抱くことになる。

誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。

www.aozora.gr.jp

 

「人生に絶望して死にたいが、自殺は無理だから死刑になろう」

と考えた輩もいたが、そんな無理筋は通らないこともわかってるくらいにはしっかりと理性が地に足を付けている。

「全ては運命だ。運命は変えられない。未来は既に決められている。私は、自分の決められた運命を歩み、実行する。この宇宙が誕生した瞬間から、私の運命はこうなると決まっていたのだ。全ては運命だ!!私はこの宇宙で最も正しい答えを知っている。私が正義だ!私が法律だ!私の言葉が正しい!私の行動が正しい!私以外の人間は皆、間違っている」

 

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 しかし長らくしっかりと勉強をしてきた自分には、合理的な意味で「自分ひとりが死んだところでなにも変わらない」という思想が根付いていることも否めない。

「クリスマスですね……」真賀田四季は顎を上げ、何もない天井を見上げる。「ツリーにランプが灯っているわ。赤とオレンジと黄色と青と緑。とても小さなランプ……。それが、点滅している。あれは、ライトが光ると、自分の発熱で変形して接点が離れるの。それで、ライトは消える。消えると冷めて、また接点が戻る。そしてライトがつく。単純だけれど、面白いでしょう?ブザーもベルも同じ原理ですね。西之園さん、小学校で習ったわね?」
「ええ、知っています。それが、何の……」
「同じ原理なのに、あるときは連続音として、あるときは優雅な点滅として認識されます。点滅の周期が短くなれば、蛍光灯のように、一定の明かりに見える。それでは、私たちの生命はどうかしら?」
「生命?」萌絵はきき返した。
「生命もまた、点滅を繰り返しているのよ」
 真賀田四季はゆっくりと言った。
 彼女は青い目を閉じ、静止する。
「生きたり、死んだり、の点滅を繰り返す……」
 赤い口もとだけが、僅かに動く。
 とても僅かに……。
「ずっと、生きている、という幻想を、抱きながら……」

有限と微小のパン森博嗣(2001),講談社文庫, 756-757

 差し迫る死の気配は、さながらドクター・フーに出てくる嘆きの天使だと、最近久々に動画を観る機会があって感じた。無視することのできない「死」。目を背ければ、知らぬ間にすぐそばまで近づいている。瞬きしてはいけない。

youtu.be

scp-jp.wikidot.com

 学部時代のゼミの先輩の一人に、卒論のテーマをジョルジュ・バタイユにしていた人がいた。最後にゼミ生で飲み会を開いたその帰り道に、自分がその先輩に影響を受けて図書館で数冊バタイユを読んでみたことを伝えたが、ピンと来てない様子だった。先輩が研究対象にしていたのは『内的体験』における「内的意志」の記述であり、「恍惚体験」ではなかった。自分が図書館で手にしたのは『エロスの涙』であり、サディズムとしてのエロティシズムと宗教的な恍惚を同根のものとみなすという論理と、その根拠として結論を代弁させるために最後の章に呈示された清朝凌遅刑の写真に衝撃を受け興奮しただけであった。アヘンを注入されて簡単には失神しないように調節されながら身肉をじわじわとそぎ落とされていくその写真はしばらく自分の脳裡に焼き付き、その写真がジャケットに使われているというジョン・ゾーンの『凌遅 Leng Tch'e』を知ることにもなった。あの先輩はいま何をしているだろうか。

bookmeter.com

 

 ライターのギャラクシーさんがジモコロに書いた記事によれば、若いうちから終活に向けた「エンディングノート」を書いても問題ないらしい。エンディングノートは、自分の死後の処理を伝えるだけでなく、遺される人への思いが乗せられるものだという。

「終活って絶対若い時からやっといた方がいいですよね。自分が誰にありがとうと思っているのか、若いうちから自覚して生きたほうがいいと思う。僕もエンディングノート、書きます!!」

www.e-aidem.com

「万物は流転する」と説いた古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは「誰も同じ川に二度入ることはできない」と表現した。

www.bobdesautels.com

 つい最近も、女子高生2人が飛び降り自殺を配信したという話題を目にした。もちろん動画も見てしまったが、”その一歩”を実際に踏み出す勇気は自分には無いなと思ってしまう。それは良いことであると同時に、何かのはずみで越えてしまうこともあるかもしれないと寒気を覚える日々があったのも事実だ。高い建物から外を見下ろすとき、駅のホームで電車を待っているとき、自宅で調理をするために包丁を握るとき。

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youtu.be

 凌遅刑の写真も、自殺配信も、もともと高い自分の血圧をさらに高くする。頭の中がガンガン言ってクラクラするのに、見るのを止められない。死ぬ瞬間が何らかの形で残されているのをみるのは、命の尊さと人体の不思議さと生死という不可逆性を一気に目の当たりにすることになるからショッキングなのだろうか。(ハレではなく)ケと見なされる死がメディアでは抑制されるにつれ、SNS上で垣間見える戦場の映像や自殺配信は、一層殺傷性が高くなっているのかもしれない、と思った。

ja.wikipedia.org

www.meisterdrucke.jp

 書きたかったことはこんなところだろうか。構想を練っているうちに希死念慮を克服する愛情を再確認し、ストレスも緩やかなものになったため、多少はマシになっていた。こんな殴り書きは構想なんか練ってしまってはいけないのだが、どうも関係しているように見える欠片を見つけるとどれも拾い集めて一つのつながりにまとめたくなってしまうのだ。
 こんな完璧主義のような性格が良くない方向に導いているというのに。