私を眠らせず、私の屋根に責ふりつむ。
君を眠らせず、君の屋根に責ふりつむ。
水野一晴、藤岡悠一郎 編の『朽木谷の自然と社会の変容』海青社(2019)第Ⅲ部「現代の山村」所収の、熊澤輝一 著 第20章「朽木らしさの未来を考える」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。
もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。
第20章を読んで。
〇「地域らしさ」
・「地域社会」の傾向
現代の政策:戦略的な国土の活用やコンパクトな街づくり(という表面的な考え)
vs. 現状:そこに存在する人、自然、それらが関わり合う過程で生まれた文化
・地域の未来を考えることの意義
:新しい政策や技術によって「なるかもしれない姿」になっても変わらず求めるに値する
ものは何かを見出しておくことにある
・「地域らしさ」:生態的な条件&社会的な関係のなかで特徴付けられる
:人が自然・空間―社会という舞台とかかわり合う中で生まれてくる
←人間存在から独立に存在する抽象的な空間たりえない「風土(milieu)」の考え
;「風土」:ある社会の、空間と自然とに対する関係で、物理的にして現象的なもの
人間存在の時間的・空間的構造は、歴史と一体をなす風土において成立する
⇒「朽木らしさ」
:①朽木の歴史を踏まえ、出来事の連鎖を客観的な手続きで捉える中でその特徴を抽出する
②今朽木に生きる人たちが、地域の自然や社会とかかわる中で「朽木らしい」と判断し抽出する
〇ワークショップの実施
1.古写真ワークショップ
;「過去」「現在」「未来」をテーマに時間を超えた「朽木らしさ」を追求
・展開された「語り」の内容:家族、出来事・行事、食べ物、景観、人物や場所
・発見された意義:記録として残すこと、当時の思いを未来に伝えたい/想いを残したい、未来について考えること
2.市民グループの聞き取り調査
;「今、ここ」から捉えた朽木らしさについて
・現在の朽木らしさについて
:知り合いの多い中での暮らし、欠かせない盆踊り、街道と京都の文化圏・おしゃれ、古い言葉、きれいな水と普請の関係
・朽木の将来のイメージ
:人数が少ない中での選択、楽しんでいる姿を見せること、まとまって生活できるところ
を作っておくこと、集落を閉じた先のこと、景観の要素と人々に結びつき
3.物語づくりに向けたワークショップ
;朽木を未来へすなぐ・残すための物語づくり
・残したいことや未来にあったらいいことについてまとめて「たたき台」を作成
・そこから10年後・20年後の朽木の姿を過程や取り組みを含めて年表化
;朽木に暮らす人々や関心を持つ様々な人々が、ともに朽木の未来を描き、そこに至るまでの過程を物語れるような材料を提供した
;物語は結果としてできるものであり、材料である年表は更新可能な状態である必要がある
〇ワークショップに向けて
・ワークショップは参加者から得られた語りを調査社が抽出したにすぎない
→30年後の朽木の姿とそれに至る過程を考えるための手だてを考察しなければいけない
・考える方法
・目的や理由を捉え直して実現の過程を考える
・現在では当然のこととされていることを対話によって問い直しながら未来の人と人/自然の関係への考えを深めつつ、未来の制度、技術、思考の変化を想像して朽木の将来への姿を考える
以下、面白いと思った点。「朽木らしさ」について語るときに「水がきれい」と発言する人がいるのと「普請が大変で、そのおかげで水がきれい」と発言する人がいつのが面白いと思った。インタビューの中で「朽木らしさ」の一つに「みんなお互いの顔を知っている」「誰でもどこでも、顔を知っているから何をしてもバレバレ」という知っている人が多い中での暮らしが挙げられている。ということは、「水がきれい」というのは「誰々さんが普請してくれているから水がきれい」という意味なのだろうか。もしそのことを知らずに「朽木は自然が残る山深くの土地だから水がきれい」という意味での発言なら、お互いが何をしているのかバレバレだと思っていても実は把握しきれていないこともあるのかもしれないなと思った。
参考・勉強になった点は、朽木の未来を考えるときに、専門家が客観的な立場から数値を用いてどうこう考える、というものではなく、実際にその場所に住む人たちの思うところを自発的に語らせることで残していくべき特徴を見出す、というアクションリサーチというアプローチが興味深いと考えた。もし自分が人口減少に悩む土地の住民であるとしたら、外からやってきた偉い先生たちが「この土地の未来について考えましょう」と言ってきたらすべて先生様におまかせしてしまう気がする。ただ、外部の人にはわからない、その土地に住む人だからこそ大事にしたいと考える要素を抽出し、それを残すためにはどうするべきかを考えることを促す「触媒」のような存在として調査者は土地に関係を持つのだなと思った。
疑問点・不明点としては、なぜ筆者は朽木の未来について考えるために過去や現在をまず考える必要がある、という主張の論拠に「社会脳科学」分野の研究を引用したのだろうか。朽木の未来を考えるために過去や現在を鑑みることは、(個人的には)自然と思いつく至高の筋道だと思った。
朝早くゴミを出しに行くと収集場に面した家の縁側でタバコを吸うお爺さんを観測することができる
タバコを吸うと早死にするよと言われて「早く死ぬために吸ってんだよ」と返した人がいる
森博嗣はタバコを「喫う」と書く
渋谷ハロウィンのときに現地でニュースに出演していた渋谷区の偉い人が、テレビに出たがってインタビューに割り込んできた若者に向かって路上喫煙が禁止されていることを踏まえて「タバコを飲んじゃダメなんだよ」と諭していたことが、その映像の投稿されたYouTubeのコメント欄で渋くてカッコいいと称賛されていた
バイト先の後輩に眠気を飛ばす方法を訊かれたが自分の方が知りたいと感じた
短編ミステリ集でレシートが数枚載っているだけで成り立っている作品があったが読んでも理解できなかったことを思い出した
(追記:柄刀一の「ある終末夫婦のレシート」という作品)
古本屋で「現代短歌集」の中に独特な擬音を盛り込んだ作品を知って感銘を受けたがスマホを開くのも気が引けたので誰の作品か忘れてしまった
大学構内全域が禁煙になってから、あらゆるキャンパスの門の前で教授がタバコを吸っているのを見かけるようになった
大学生は気遣いからか少し離れた木々の影で吸っているのも見かけた
大学の建物の修繕をしていた外部の土木関係の人たちもタバコ休憩のためにわざわざ敷地外に出ていた
音MADの作り方を知りたい
生配信の切り抜き活動をしている人たちのモチベーションがいつまで続くのか見守っている
ああいう人たちは普段は何をして暮らしているのだろうか
Spotifyでクラシックを聴くことを驚かれた
YouTubeでベートーヴェンの交響曲集を垂れ流すとときどき知っているフレーズが流れてくるので面白い
卵を溶くだけ溶いて冷蔵庫に戻してしまった
割られる前の卵は隣にあられもない仲間の姿を見せつけられて屈辱だろう
ついにffmpegで拡張子を変えるコードくらいは覚えてしまった
ひんやり感じるペンギンのぬいぐるみを抱いて眠りについている
「意味がわかると怖い話」はもうブームが去ったのだろうか
禁煙ビジネスには大きなお金が動いているらしい
SDGsも同じ、すべてはグローバルビジネス
DeepLを無料版のまま使い続けているが、結局は英語のまま読んだ方がいい気もしてきた
昔見たポルノグラフィティがアポロを広島弁で歌っていた動画をYouTubeで見つけて懐かしく感じた
「ねじ式」はどこまで通じる教養なのだろうか
バグについての美学論文はまったく意味がわからない
手の込んだ詐欺メールに引っかかりそうになった
豊かな生活から取捨選択をしなくてはいけない
きっと大丈夫
眠れない日が1ヶ月くらい続いている
何かしなければいけないことがある状態で寝ることができない質なので、慢性的に忙しく長いスパンでこなさなければいけないタスクがある期間はいつも良質な眠りにつけない
寝る直前に送ったはずのLINEが世間的には早朝に送ったものとして受け取られる
「これから眠るのに 最悪とか言われて 結構感じ悪いんですけど」
完全に五十嵐隆の気持ちにシンクロしている
「占いのコーナーってあれ 何?」
syrup16gの最高のリリック
祝日に日の丸を掲げる家は日付の変わるタイミングに日章旗を出すのだろうか
阪神御影駅の目の前に立つタワーマンションの最高階に近い部屋はいつも夜遅くまで灯りが点いている
乳酸菌で睡眠の質が向上したりアレルギーが治癒したりするのはプラセボにしか思えない
朝陽で起きるようにカーテンを開けて寝るようにしたら朝になって布団にくるまるようになってしまった
植木理恵『ウツになりたいという病』
香山リカ『「私はうつ」と言いたがる人たち』
香山リカの推論に当てはまるような人間にはなりたくないという逆張り精神と、事実どこかミュンヒハウゼン症候群チックなところを薄々自覚しつつある
Twitterみたいにのちのち消すこと前提に書いたブログがあっても良いよね
「この記事はいずれ消えます」
洗濯物を外に干すたびに、意識高い系の大学生が留学先で得た経験を根拠に「日本人はなぜ乾燥機付き洗濯機を買わないのか?」と批判するブログを読んだことを思い出す
現代にもマリー・アントワネットは存在することの証左
あまりに何回も再生しすぎて匿名ラジオを聞きながら眠りにつくことができるようになった
「見なよ 太陽が昇ってゆく 僕らを無視したまま」
これはLyu:Lyuの最高のリリック
毎日フォロワーが少しずつ増えるのをのんびり見守っている
やりたいことはたくさんあるのにそれができない日々が続いていて精神的にとてもよくない
本当はやりたいことを羅列したいが、それすらもできない
量が多すぎるし、不要なことに頭を使ってはいけない時期に差し掛かっている
無駄なことは無駄であるが故に必要であることも分かっているのに
ひとりの生活における働きアリの法則
脳内で考えた文章を即時的にアウトプットできる能力もしくは機能を求めている
ブログに書きたいこともたくさんあるな
なるべく広いジャンルから、ひとつのテーマを設けて曲を拾ってSpotifyのリンクをInstagramのストーリーズに投稿する自己満足を楽しむ毎日
明日こそは足の指の爪を切ろう
羨ましいと思っていたことに突然全く魅力を見出せなくなることがあった 精神的な距離の発生・出現
履修したいアニメはたくさんあるけど、年齢を踏まえると消化する体力が残るのか不安になってきた これは精神的にも時間的にも
テンポの速く展開の多い曲が聴けなくなってきた
実家にいる父親から今年の年賀状の素案がデータで届いた
イスラム圏では脱毛ビジネスは成功するはずがない
ブログのタイトルを「無題」にすることで芸術家の思考をトレースできる
米倉涼子の出演するCMを観るためだけに楽天mobileのホームページに行くことがある
「有名な芸術家みたいに適当な生活がしたい」
これはQomolangma Tomatoの最高なリリック
「嗜好品ではなく嗜好品を手に取る側の音楽とその気持ち」
これもQomolangma Tomatoの最高なリリック
スマホで初めてブログを書いた
長谷川公一、浜日出夫、藤村正之、町村敬志 著の『社会学 新版』有斐閣(2019)の第2部「時間・空間・近代」所収の第7章「空間と場所」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。
もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。
また、この本は現代社会における様々な問題について、歴史上の偉大な思想家たちが議論して築いてきた考えるための理論がとても整理されている。この本を一通り読むのと読まないのとで、あらゆる問題に対して考える時の視座の確固さは雲泥の差を生むと感じた。ぜひ一読を強くお勧めするし、自分の考え方に揺らぎが生じた時に拠り所にするために傍らに置いておくのが良いと思う。
第7章 空間と場所(pp.197-234)
第1節 壁に突き当たる近代化空間 (pp.198-200)
〇空間論的転回
・狭い領域で生まれ育ちそこで人生を終える、移動が限られていた時代
:自分にとって自明でかつ親密な領域は、自身にとって固有性をもつ「場所」
→移動が加速化し、人・モノ・情報の流れが拡大していく近代
:均質性を備えた広がりとしての「空間」に「場所」が飲み込まれてしまうのでは
…いずれ「空間」じたいも速さによって乗り越えられてしまうのではないか
→空間の削減ではなく、多様な空間、差異をもった場所の創出の試みが行われるように
第2節 社会学の空間体験 (pp.200-206)
・産業革命と工業化、植民地体制の開始と「帝都」形成によって集住を支える技術が発達
→「都市」が発見されると同時に「都市のもう1つの半分」も発見
;都市の社会調査から発見された課題に対処するために社会政策論者が出現
・反都市主義:生産力主義から離れ、人間的・田園的な世界への回帰を目指す立場
・改良主義的空間を目指す立場;社会政策の拡充
・M・ヴェーバーの「都市」認識
「その土地と関係をもたなかった人びと、相互に関係をもたなかった人びとがつくる集落」
特徴:①独自の防御施設 ②局地的市場 ③自身の裁判所と自身の法
④契約によって結ばれた団体としての性格 ⑤自律性と主張の自己決定権をもつ
・ジンメルの「都市」認識
つながりと距離を生み出す「よそ者」によって特徴付けられる空間
:地縁や血縁ではなく目的や機能で結ばれる第二次的関係が台頭しているため、
都市での人びとの関係は匿名性を帯び、お互いの距離感が支配的
:よそ者ー伝統秩序から離れて流入して住みつく潜在的放浪者は、関係資源を活用して
新しい共同性の構築を目指す;同郷、同窓など ←共同体としては擬制でしかないが
・シカゴ学派の研究
・エスノグラフィー(フィールドワークの結果をモノグラフに求まる手法)
・マッピング的手法(社会諸事象を空間的に表現する手法)例p206
・パーク 「人間生態学」
異なる文化を背景に持つ人びとが共存する都市は、道徳的距離を生み出す
都市は接触するが浸透しないモザイク的な小世界になっている(自然発生的地域)
例:移民のエスニック・コミュニティ、階層別棲み分け
第3節 20世紀から21世紀へ (pp.206-218)
・日本の地域ごとの人口推移
自然増に加えて地方圏からの流入により大都市圏で人口増加、
疎開を機に大都市中心市での人口は激減、大都市郊外での人口が増加
地方圏人口は横ばいだったが、少子高齢化により人口減少が進むと予想されている
〇郊外社会 p209
・戦後復興期(1950年代)に誕生した団地では、フォーディズム(大量生産体制に依拠した経済社会体制)による大量生産ー大量消費型のライフスタイルが創り出された
→新興中産階級のライフスタイルを実現する空間(「ブルジョワ・ユートピア」)
・スプロール化(市街地の無秩序な拡大)によって公共財などの生活基盤の整備が遅れるという問題を解決するために政府や自治体が関与したり、住民運動が展開されたりする
・個人主義的傾向の流入者と伝統的共同体に基礎を置く旧住民の混在したコミュニティ
・不動産開発や企業社会によって経済的階層とジェンダー関係によって構造化された空間
・現在の特徴として①年齢的同質性による深刻な高齢化問題の発生、②都心に通うホワイトカラーだけでない、工業地帯や物流センターの建設による「混住の郊外」へ、③外国人の流入でより混在→均質性の高さから微細な差異が異質な他者として「危機」の原因と見なされ攻撃される場合も、④人口減少に伴う都市基盤維持費用問題や医療施設不足問題
〇都心空間 p213-
・工業生産に依拠する近代都市は工場や物流で働く労働者向け住宅が占めていたが、工場移転や新たな交通体系によって工業的空間としての役割を終え、経済的衰退や物理的荒廃、環境悪化などの都心問題(インナーシティ問題)につながった
・グローバリゼーションの発展により、先進国と途上国の間に資本・労働の移動ネットワークが形成され、その結節点として膨大な資本や情報、文化の集まる国家の枠を超えた「世界都市」という役割を果たすようになる
・1990年代以降グローバリゼーションが本格化し、国際空港の建設や超高層オフィス、リゾート開発などメガ・プロジェクトが実施される都市間競争が起き、大都市での人口の都心回帰が目立つように
・ジェントリフィケーション(居住階層の上昇)による周辺部との経済格差、実需から離れた建設、超高層タワー型マンションに住むエリート/ビルの谷間に住む住民/多様な外国人住民/ネットカフェ難民などの不安定層が共存する空間の民主的な維持など、課題がある
〇地方圏 p216-
・1950年代以降の「不均等発展」:地方から工業都市に人口が流出し、経済的格差が地域間・産業間・階層間で発生
・開発主義の限界につき、格差是正の財源削減による自治体の財政破綻や地域の自営業者の衰退、山村や離島における限界集落化といった問題が起きている
;限界集落の問題:①集落機能の低下による住民生活維持の困難化
②高齢者の独居生活・福祉問題
③生産活動の弱化・解体
④地域振興の担い手となる人材の欠如 など
・逆フロンティア:人口減少に伴って人間の生活する空間が縮小する現象
←自治体の規模を拡大する対応策がなされることも;例「平成の大合併」
:地域の努力に依存していてかつその集落の存続可能性を軽視しており、都市と山村の共有財産の視点から考え直す必要のある問題もある
第4節 場所を取り戻す (pp.218~228)
〇「場所」について
・空間 space :抽象的な広がりに力点を置かれる
・場所 place :一人ひとりの人間の身体がおかれた位置との関係で中心付けられる
■「ある空間が、われわれにとって熟知したものに感じられるときには、その空間は場所になっている」Y.トゥアン p218
;空間を場所に変える要素:流れが交錯して集まる「結節点 node」、人目を引く「ランドマーク」、日頃よく通る「道筋 path」、異なる領域の境「境界 edge」、共通点をもち周りから区別される「地区 district」
:K.リンチの提唱した、記憶の中で構成された地理空間的イメージを描き出すことでその人にとっての空間・場所の印象を把握する方法
;階級や人種を背景に「場所」の不平等性も描き出す
〇場所性の消費―観光地について
・「観光のまなざし」問題:観光地に訪れる旅行客はあらかじめ非場所的な実践で得られた記号(的な経験や事物)を求めているため、観光地も期待に応えて実態とは離れた要素を再生産してしまう
・再開発問題:グローバル都市の開発は各都市の均質化を進めるため、戦略的な差異化が求められる。結果、ときには無節操な意味を人工的に持たされ場所が創り出されてしまう
また、再開発の反発としての場所性の保存は、カタログ化された記号としてむしろ変化を後押しする存在になってしまう
〇場所とコミュニティ
近代化→地縁や血縁で結ばれた伝統的共同体コミュニティが解体される
→新たな「つながり」を提唱する人びと
・ウェルマン:コミュニティ解放論;空間から解放され選択的に絆を作り上げる
・グラノヴェッター:弱い紐帯;内部結束が弱くても外部との弱いつながりを確保し利用する等
〇場所の両義性
①一つの空間には複数の場所や場所性が併存・重層しており、しばしば対立を生む
②場所性の演出は、場所がマーケティングされる時代においては遍在的なものになり、地域の個性化よりむしろ無個性さの露呈を行う可能性がある
第5節 「空間と場所」の社会理論へ (pp.228-234)
〇空間の生産
ルフェーブル「空間の生産」の3つの契機
・空間的実践:生産・再生産の諸関係を人びとが無自覚に空間や場所へ反映させる過程
・空間の表象:空間に関する思考や言説が空間にもたらす秩序化の過程
・表象の空間:映像や象徴を通して住民やユーザーに直接に生きられる空間
;現実の空間は3つの契機の対抗や競合のなかで生産されている
・物理的に移動しないまま情報や資本などのフローの空間を介して遠隔地と個人が連接されたり、ネット空間などの物理的空間に縛られない「場所」も存在感を増している。また、社会と国民社会が同一視されなくなり、移動者としての個人の視点から社会はフローのなかにある「風景 scape」として体験されるという考えも出てきている
以下考えたこと。
・観光客として、記号を消費しないような「観光」は、どういったものなのか。観光地として、記号的消費に頼らない観光産業はどういったものが考えられるか。
・人口減少が予測されている将来では、都市中心部・都市郊外・地方圏のあり方は変化するだろうか
水野一晴、藤岡悠一郎 編の『朽木谷の自然と社会の変容』海青社(2019)第Ⅱ部「山村の暮らしと自然環境」所収の、藤岡悠一郎 著 第6章「ヤマとタンボを結ぶホトラ」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。
もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。
第6章を読んで。
〇草地という植生
:かつては多く見られた(20世紀初頭には500万haという調査)
日本(温暖で湿潤な気候)では放置すると遷移が進む
・「半自然草原」:生業や暮らしの中で人々が森林の資源を利用し、森林の植生に対して様々な働きかけを行うことで植生の遷移が押し戻され、草地の状態が維持される
例:家畜の放牧、餌資源のための草刈り、水田に肥料として投入する刈敷の採集 etc.
←朽木の人の生業:稲作、牛の飼育
〇ホトラ
・ホトラ:コナラの幼樹で、牛の餌になる cf.ホトラヤマ:ホトラを刈り取った山林
・ホトラを刈る 主に女性が担当していた
・低木のうちに刈る ←人の手が届くから、育ちすぎると陰で草木の量が減るから
・山焼き 地表面の刈れた草が焼ける程度、むしろ土を肥やすことになる
・ホトラ刈りは8月:他の稲作などの労働との競合が少ない、お盆行司とも関連
刈り取られたホトラ含む草は、牛の餌(ウシモン)と小屋に敷く草(フマセモン)に分けられた。牛の糞尿と混ざったものを春先に肥料にした。(田んぼ・牛・ヤマの有機的連環)
〇ホトラ利用の変化と植生の変化
・ホトラ利用がなくなった原因:①農業機械の普及→牛の飼育の衰退、②化学肥料の普及→ホトラの必要性の低下、③都市への人口流出
⇒植生の変化
・ホトラ利用が行われなくなってから、コナラが急激に成長&陽樹が増加
・植林産業の発展による広葉樹の伐採、針葉樹の植林
面白いと思った点は、牛の飼育を厩という自分たちの家の中で行っていたことから、当時の朽木の人たちにとって大事な存在であったこと。実家が乳業を営んでおり、朽木の厩に飾られていた牛の絵馬とほとんど同じものが牛舎に飾られているので、親近感が湧いたのと同時に、「大切にする行為の表れ」の普遍性が面白いと思った。また、参考・勉強になった点として、今までの章で何度も議論されていた、「自然と人間の関わり方」についてわかりやすく朽木での例が記してあったと感じた。ホトラは朽木の人々の生業にとって重要なもので、ホトラの収穫を持続させるために山焼きなど「自然への介入」がされていたということは、今までの議論からも理解できる内容だと感じた。また、山のものを牛の餌にしたり田んぼの肥料にしたり、また山焼きをすればホトラを収穫し続けられることを知っていたりと、自然に囲まれた人々の中に蓄積された自然に関する知識・造詣は計り知れないものだなと感じた。以下、疑問に思ったこと。お盆の数日前から収穫したホトラを玄関口に高く積む風習があったとされているが、これはこの風習が「高く積む」という行為の目的より先に生まれたのだろうか?言い換えると、「玄関口に高く積む」という行為は初め何かしらの目的があってなされたもので、それに時期と先祖崇拝の文化が折り重なって「ホトケノコシカケ」になったのだろうか、それとも「ホトケノコシカケ」を作る目的で「玄関口に高く積む」行為が生まれたのだろうか。また、農業機械の普及によって牛の飼育が衰退したとされているが、乳牛や肉牛を飼育するという転換は行われなかったのだろうか。乳牛向き・肉牛向きの品種ではなかったり、それだけの設備を整える土地がなかったのだろうか。せっかく今まで生活をともにしてきた牛を、機械の普及という理由で完全に手放すことがあるのだろうか、と思った。
藤原帰一, 大芝亮, 山田哲也 著の『平和構築・入門』有斐閣(2011)第1部「平和を脅かすもの」所収の佐渡紀子 著、第3章「拡散する核兵器」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。
もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。
第3章「拡散する核兵器」を読んで。
〇核兵器の拡大
核兵器は世界に2万発存在する この核兵器の拡散の背景には抑止力への期待がある
核兵器による反撃の意思と能力があることを表明することで核抑止が機能
→核の仕様を想定した核兵器による抑止力への期待は核兵器の拡大(核拡散)を促進する。
・しかし、キューバ危機によって核兵器の使用が検討されうることも示された
⇒核兵器は決して使用されないとは言い切れない
〇核テロへの懸念
・管理の不十分な核関連施設の存在
←冷戦後の軍縮、ソ連解体後の市場主義導入による経済の不安定化
・核の闇市場の存在;リビア、イラン、北朝鮮へ核関連技術が流出している事実
〇地域的な核問題
・イランの核保有は中東地域における安全保障問題が解決しにくくなる
〇核拡散の歴史と連鎖
・アメリカのWWIIでの使用が初 ←ドイツ軍との核開発競争が誘発
・米ソ冷戦による核拡大(英、仏、中の核開発の促進)
・中国の核開発に誘発されたインド、パキスタン
〇核拡散防止に向けた取り組み
・NPT(核不拡散条約):米ソ英仏中以外の締約国に核兵器開発・保有を認めない
原子力の平和利用の権利を認められる
・非核兵器地帯の設置
・CTBT(包括的核実験禁止条約):新たな核兵器国の出現を防止することを目指す
〇核軍縮の進展
・冷戦を経て増加した核弾頭数は冷戦終結後に減少した
←安全保障環境の改善・核保有必要性の低下、国際的な批判
・START(戦略兵器削減交渉)
〇課題
・安全保障環境改善によって核軍縮が進められる中、新たな脅威や核テロという危機
・核兵器の全廃は南アフリカのみ ←欧米では同盟関係の象徴として政治的な意味を持つ
・核兵器の有用性という議論←多様化する脅威に対する核抑止の必要性
以下、読んで感じたこと。
核兵器も前章のテロリズムに同じく、拡大した原因は様々で、一貫した解決策はなく、対症療法的な手法で議論するしかなさそう。いっせーのーせで核兵器を全員で廃棄しようとしたところで、誰かが廃棄しなかったり、結局またつくったりするのではないかという嫌疑が、核軍縮を防いでいるのかなと思った。他人を信じられる世の中って大事。それは犯罪を起きにくくする近所づきあいみたいなものなのかな。