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『朽木谷の自然と社会の変容』第20章「朽木らしさの未来を考える」を読んで

 水野一晴、藤岡悠一郎 編の『朽木谷の自然と社会の変容』海青社(2019)第Ⅲ部「現代の山村」所収の、熊澤輝一 著 第20章「朽木らしさの未来を考える」を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。

 もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。

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 第20章を読んで。

 

〇「地域らしさ」

・「地域社会」の傾向

 現代の政策:戦略的な国土の活用やコンパクトな街づくり(という表面的な考え)

  vs.   現状:そこに存在する人、自然、それらが関わり合う過程で生まれた文化

・地域の未来を考えることの意義

 :新しい政策や技術によって「なるかもしれない姿」になっても変わらず求めるに値する

  ものは何かを見出しておくことにある

・「地域らしさ」:生態的な条件&社会的な関係のなかで特徴付けられる

        :人が自然・空間―社会という舞台とかかわり合う中で生まれてくる

←人間存在から独立に存在する抽象的な空間たりえない「風土(milieu)」の考え

;「風土」:ある社会の、空間と自然とに対する関係で、物理的にして現象的なもの

      人間存在の時間的・空間的構造は、歴史と一体をなす風土において成立する

⇒「朽木らしさ」

:①朽木の歴史を踏まえ、出来事の連鎖を客観的な手続きで捉える中でその特徴を抽出する

 ②今朽木に生きる人たちが、地域の自然や社会とかかわる中で「朽木らしい」と判断し抽出する

 

〇ワークショップの実施

1.古写真ワークショップ

;「過去」「現在」「未来」をテーマに時間を超えた「朽木らしさ」を追求

・展開された「語り」の内容:家族、出来事・行事、食べ物、景観、人物や場所

・発見された意義:記録として残すこと、当時の思いを未来に伝えたい/想いを残したい、未来について考えること

2.市民グループの聞き取り調査

;「今、ここ」から捉えた朽木らしさについて

・現在の朽木らしさについて

 :知り合いの多い中での暮らし、欠かせない盆踊り、街道と京都の文化圏・おしゃれ、古い言葉、きれいな水と普請の関係

・朽木の将来のイメージ

 :人数が少ない中での選択、楽しんでいる姿を見せること、まとまって生活できるところ

  を作っておくこと、集落を閉じた先のこと、景観の要素と人々に結びつき

3.物語づくりに向けたワークショップ

;朽木を未来へすなぐ・残すための物語づくり

・残したいことや未来にあったらいいことについてまとめて「たたき台」を作成

・そこから10年後・20年後の朽木の姿を過程や取り組みを含めて年表化

;朽木に暮らす人々や関心を持つ様々な人々が、ともに朽木の未来を描き、そこに至るまでの過程を物語れるような材料を提供した

;物語は結果としてできるものであり、材料である年表は更新可能な状態である必要がある



〇ワークショップに向けて

・ワークショップは参加者から得られた語りを調査社が抽出したにすぎない

→30年後の朽木の姿とそれに至る過程を考えるための手だてを考察しなければいけない

・考える方法

 ・目的や理由を捉え直して実現の過程を考える

 ・現在では当然のこととされていることを対話によって問い直しながら未来の人と人/自然の関係への考えを深めつつ、未来の制度、技術、思考の変化を想像して朽木の将来への姿を考える



 以下、面白いと思った点。「朽木らしさ」について語るときに「水がきれい」と発言する人がいるのと「普請が大変で、そのおかげで水がきれい」と発言する人がいつのが面白いと思った。インタビューの中で「朽木らしさ」の一つに「みんなお互いの顔を知っている」「誰でもどこでも、顔を知っているから何をしてもバレバレ」という知っている人が多い中での暮らしが挙げられている。ということは、「水がきれい」というのは「誰々さんが普請してくれているから水がきれい」という意味なのだろうか。もしそのことを知らずに「朽木は自然が残る山深くの土地だから水がきれい」という意味での発言なら、お互いが何をしているのかバレバレだと思っていても実は把握しきれていないこともあるのかもしれないなと思った。

 参考・勉強になった点は、朽木の未来を考えるときに、専門家が客観的な立場から数値を用いてどうこう考える、というものではなく、実際にその場所に住む人たちの思うところを自発的に語らせることで残していくべき特徴を見出す、というアクションリサーチというアプローチが興味深いと考えた。もし自分が人口減少に悩む土地の住民であるとしたら、外からやってきた偉い先生たちが「この土地の未来について考えましょう」と言ってきたらすべて先生様におまかせしてしまう気がする。ただ、外部の人にはわからない、その土地に住む人だからこそ大事にしたいと考える要素を抽出し、それを残すためにはどうするべきかを考えることを促す「触媒」のような存在として調査者は土地に関係を持つのだなと思った。

 疑問点・不明点としては、なぜ筆者は朽木の未来について考えるために過去や現在をまず考える必要がある、という主張の論拠に「社会脳科学」分野の研究を引用したのだろうか。朽木の未来を考えるために過去や現在を鑑みることは、(個人的には)自然と思いつく至高の筋道だと思った。