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『社会保障改革のゆくえを読む』「はじめに」、第1章「消費税増税と安倍政権の社会保障改革」を読んで

 伊藤修平 著の『社会保障改革のゆくえを読む――生活保護、保育、医療・介護、年金、障害者福祉』自治体研究社(2015)を読む機会があったので、まとめながら読もうと思う。

 もし本書を読もうとしている人がいたら参考になるかもしれないが、私は自分なりに咀嚼して雑多な文章にまとめているだけなので、著者の真意を正しく理解するには実際に本を読まれることを強くお薦めする。これは自分のための備忘録である。

 

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 まず「はじめに」を読んで。

 

 「はじめに」では、2014年度のGDPがマイナス成長になったことから話が始める。この原因にアベノミクスによる円安と物価の上昇が挙げられる。安倍首相は衆議院解散総選挙に打って出て、結果として自民・公明両党が与党としての座を維持したことを「国民から信任を得た」として「戦争できる国づくりにまい進」した。

 その代表として「戦争法案」と呼ばれる安全保障関連法案の国会提出や、社会保障の給付抑制や患者・利用者負担の増大という「社会保障改革」が挙げられる。この後、どのように社会保障費が削減されたかが詳細なデータとともにまとめられている。

 「大砲かバターか」という言葉が印象的。いまの日本では「命を救う」社会保障費を削り、「命を奪う」軍備費を増大させる政策がとられているのを端的に表現できる比喩。

 「戦争法案」に関しては憲法審査によって違憲判断されてから流れが変わったものの、社会保障改革はそれほど反対の声が上がる間もなく実行されているのが現状。

 

 本の目的として、民主党政権時から継承されている「社会保障・税一体改革」の本質が社会保障費削減にあることを明らかにすること、そして安倍政権の社会保障改革の考え方についての検討が挙げられている。さらに、改革の動向について、生活保護制度改革や医療・介護制度改革、年金制度改革、障碍者福祉改革に関連させて検討し、新たな社会保障改革の方向を見出すのが目的に挙げられている。

 

 

 次に第1章「消費税増税と安倍政権の社会保障改革」。第1節に概説、第2節に問題点の提起、第3節で詳細な問題を解説、第4節でまとめと総括的な問題点の指摘をしている印象。

 

 「骨太の方針2014」において、「徹底的に効率化・適正化をしていく必要がある」として社会保障の削減が打ち出された。小泉政権時には2200億円削減された社会保障費が、安倍政権時のもと3900億円削減された。この「効率化・適正化」という表現で削減を実行するのは、どうかと思ってしまった。

 実際の予算案について。2015年度では、高齢化に伴い実質減となっている社会保障費に対し、オスプレイの購入や在日米軍関係費も含めた防衛費は増加しており、「専守防衛」の枠は超えていると見なせる。安保関連法案の提出も相まって、安倍政権の軍拡路線(戦争できる国づくり)という本質がここに見られる。

 安倍政権は2020年度までにプライマリーバランスを黒字化させるために、政策経費の歳出削減を計画してきた。その対象になったのが社会保障費で、介護保険の保険給付外しの拡大や、病床削減、外来受診の制約など医療・介護分野を中心とした削減が推し進められた。これは小泉政権時のものをしのぐ「医療崩壊」や「介護崩壊」をもたらすものだ。それに対して軍事費は「聖域」扱いで改革のメスが入ることはなく、さらに法人税の引き下げも行われるという事態だった。

 

 次に、「社会保障・税一体改革」に関して。民主党政権時に成立した消費税増税法では、「社会保障・税一体改革」として「消費税率の引き上げによる増収分はすべて社会保障の充実・安定化に充てる」とされた。しかし同時に自民党社会保障特命委員会)がまとめた「社会保障制度改革基本法」では、公的責任による社会保障の充実を放棄し、社会保障費の削減が宣言されたも同然の内容が記されている。ここで、「社会保障・税一体改革」のねらいは消費税増税による社会保障の充実ではないことがわかる。その後政権が自民党に戻ってからも社会保障「改革」という社会保障費削減は進められ、給付抑制・患者負担増という内容を持つ法律が定められている。

 

 「社会保障・税一体改革」がとられて増収分はすべて社会保障に回されるにも拘わらず社会保障費が削減されている構造とは。

 その一つに、実質社会保障充実費の内訳がある。これは、「社会保障の充実」に充てられた増収分の仕分けを詳細に確認するとわかるが、増収分のうち、実際に「社会保障の充実」に充てられたのは1割程度で、2015年度予算案においても2割程度でしかなかった。

 また、これまで法人税収に頼っていた社会保障費の安定化に消費税収を充てるということから、予算のすげかえがおきていることも原因と言える。実際、法人税率は2015年度に引き下げられている。

 つまり、消費増税社会保障の安定化に繋がると謳われていながら、実際には法人税減税の穴埋めに、そして社会保障以外の財源(例えば大型公共事業や防衛費)に充てられている。法人税減税と消費税増税がセットで行われてきたことがデータから示される。

 よって、結局は「社会保障・税一体改革」は消費税増税社会保障費の削減を実現させることがねらいであったと結論付けられる。

 

 消費税を社会保障の主要財源に用いる際の問題点。消費税には低所得者ほど負担が大きく高所得者には負担が小さいという強い逆進性があるのは有名。これにより社会保障所得再分配が減殺させてしまうし、この問題点からさらに消費税増税への反対が増え、ゆえに社会保障費の抑制に拍車がかかってしまう。

 

 消費税増税の際の軽減税率についても議論されている。軽減税率はすでに導入されているが、自民党は税収減少を理由に消極的であったことが述べられる。また問題点として、どの商品・サービスを軽減税率の対象にするかの線引きが難しく(実際に分かりにくいことがニュースでよく取り上げられたのは記憶に新しい)、その決定権限が業界団体による財務省や政治家への陳情合戦を引き起こす可能性があるとしている。

 

 消費税そのものに関する問題点も議論されている。消費税は「間接税」に分類されており、一般的な印象として「納税者が負担したものを一時的に事業者が預かり、納付する」ものと捉えられている。しかし実際には自由市場における流通の過程で誰が消費税分を負担しているのか分からなくなっている状態である。この消費税分の転嫁は、独占事業においては値上げでカバーできるが、競争市場においては下請けや零細事業者などが消費者から預かってもない消費税分を納付しなければならなくなる。つまり実質的には消費税は「直接税」なのである。これが、消費税が他の税と比較して滞納率が高い理由の一つであると考えられている。

 裁判所による消費税の実情に対する見解を紹介しつつ、消費税が5%に引き上げられた1998年に自殺者が初めて年間3万人を超えたことから、8%、10%と引き上げられた時の中小業者や自営業者の自殺の増加が懸念されている。

 

 さらに、輸出還付金制度と雇用破壊的な性質から、消費税による貧富の格差拡大についても議論されている。

 輸出還付金制度とは、輸出企業に対する払い戻し税のことで、これは最終消費者が国外であることに由来する。最終消費者が国内でなければ預かりうる納税額を預かれず、しかし商品の生産のために自らは消費税を納税している、ということが理由だと私は読み取った。しかし先ほど触れたように大企業は下請け業者に実質的な納税負担を押し付けているため、この輸出還付金制度は実際のところ「補助金制度」になってしまっている。これは日本が消費税を導入するにあたって参考にした海外における「付加価値税」の本来の存在意義に似ている。1954年にフランスで導入された付加価値税は、間接税のかたちをとることで、輸出企業に補助金を与える目的で考案されたものだからである。

 一方、医療現場における社会保険診療の費用は消費税の課税対象ではない。しかし医療機関が医療器具を購入する際には消費税を納付する必要があるのだが、この「損税」問題はいまだ根本的な解決に至っていない。こちらの方がむしろ「補助金」の対象とされるべきものだろう。

 また企業は「仕入れ税額の控除」によって、正社員の数を減らし派遣や請負に置き換えることで消費税の納付額を減少させることができる。消費税の増税は、企業による正社員のリストラや非正規化・外注化を促進させやすいのだ。安倍政権下で雇用者数が増えたという「事実」には、非正規雇用者数が増えただけで正社員の数はむしろ減っているという事実が隠されている。

 

 以上より、消費税は「究極の不公平税制」なのだという。

 「社会保障・税一体改革」において消費税の税収が充てられる経費には「高齢者3経費」が入っており、これは今後間違いなく増大する。社会保障費が増大するならば、消費税増税をしなければならない。しかし消費税は格差を拡大する逆進的な税制なので、国民に反対される。となると、社会保障費を削るしかない。しかし消費税増税を行ったとしても、格差が拡大するため社会保障支出の増大は不可避となるため、さらに財源である消費税収を増やすために消費税増税を行わなけらばならなくなるのである。増税しないのなら、格差問題を放置し、社会保障費は削減される。消費税は社会保障の財源として最もふさわしくないのである。

 

 ではどうするべきか?社会保障費用を消費税収で賄っている国は存在しない。他の財源から、例えば不要不急の公共事業費や防衛費をまわせば済む話なのである。

 

 次に、安倍政権下における社会保障制度の考え方と本来の社会保障制度のあり方との差異について議論されている。

 安倍政権下での社会保障制度に対する考え方はプログラム法に現れている。プログラム法は、「受益と負担の均衡がとれた持続可能な社会保障制度の確立を図る」ことが目的で、政府が「住民相互の助け合いの重要性を認識し、自助・自立のための環境整備等の推進を図る」ことを規定しており、この規定は「安定した財源を確保しつつ受益と負担の均衡がとれた持続可能な社会保障制度の確立を図るため」に改革を推進するという基本的考え方に依拠している。

 「受益と負担の均衡」という考え方は、保険原理を徹底する「負担なければ給付なし」という「見返り」論といえる。実際に低所得者に対して介護保険の保険料減免は認められず、国民健康保険料滞納者にも給付制限が強化されている。

 しかしこの実情は社会保障制度の考え方と矛盾している。社会保障の給付を受けることは憲法25条でいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」であり、給付権は必要に応じて発生し、「見返り」として発生するものではない。

 歴史的にも、加入を義務付けている国民保険は、前提に保険料負担能力の低い人たちには保険料の減免が認められるという「応能負担原則」があるものである。

 保険料負担を前提としない給付こそが社会保険の特徴であるのに、「見返り」論に基づくプログラム法は憲法の規定や社会保障発展の歴史的経緯、応能負担原則といった自明の原則を無視しているのだ。

 

 「社会保障」の考え方は、「国民会議報告書」においては「自助を共助が支え、それでも対応できない困窮について公助が補完する」仕組み、プログラム法においては「住民相互の助け合いや自助・自立のための環境整備」の推進を図ることだとされている。しかしこれらの「社会保障は自助を補完するものである」とする考え方は誤っている。

 憲法25条によれば「国は、すべての生活部面において、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定されている。すなわち、憲法の規定によれば、社会保障は国がすべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を権利として保障しなければならないものである。よって、現在の社会保障の捉え方は国家責任を看過した歪曲したものである。この歪曲した考え方に基づいて社会保障が行われているのは、国が公的責任を縮小させ、社会保障の削減を推進する政策的な意図をもっているからである。

 国は憲法の規定に背いた考え方に基づいて「社会保障」の改革を進めているため、「改革」とは必然的に社会保障費の削減を意味することになっているのである。



 ……こんな感じだった。

 

 読んだ感想というか結果として、最近考えていた疑問が再び湧いてきた。それは、福祉国家/政策と資本主義的経済国家/政策は両立しうるのか?というもの。なんだかんだ現代日本は福祉もそこそこ、自由経済もまあそれなりに、どちらも機能しているものに見える。しかし本著を読んで見えぬ・知らぬところでやはりほつれている箇所があると知った。では、そもそもこれらの両立は可能なのだろうか?

 そして、法人税収の減少分を消費増税でまかなう話だが、法人税を納付する法人も労働者によって成り立っており、消費税の納付者となる労働者がいなくなれば法人税も納付できないはずであるのに、どうして法人税と消費税をすげかえることが行われるのだろうか。

 三つ目は、なぜそこまでして社会保障費を削減したいのかという疑問である。まわりまわって政治家を含めたすべての国民に返ってくる社会保障制度なのに、削減して痛い目を見ないだろうか?

 

 こんな感じで雑多にまとめたり思ったことをこれから載せていこうと思う。続けばの話だが。